スタッフ

 

藤原理佐


1969年、北海道札幌市にて3人姉妹の長女として誕生。

A型の父に似たのか、神経質で繊細でよくおなかを壊す子で、
O型の母は育児に相当苦労した様子。
偏頭痛・閃輝暗点とは小学校4年生からのお付き合い。

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家庭科の先生が呆れるほどお裁縫が苦手だったにもかかわらず
高校卒業後、ファッション業界にあこがれ、市内のドレスメーカー専門学校へ進学。
その後アパレル店員となるが、先輩に「可愛がられ」半年で退職。人生最大の黒歴史。

1993年、結婚を機に札幌を離れ、千葉県で新生活スタート。
標準語だと思っていた北海道弁がバリバリの方言だということを思い知らされショックを受ける。

そしてこの後の会社員生活11年の間に、ストレスによる顔中のニキビ、急性胃炎、
偏頭痛を繰り返す。

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ある日、ふと職場の女性たちが重労働で腰を痛めながらも休めず、コルセットをして仕事をしているのを見て疑問をもつ。

「どうして…女性は家事も育児もあるのにこんな目に合うのかな?会社や自分、家族のために頑張ってるのに、身体が動かなくなったら自己責任…ロボットじゃないのになぁ」

その後も身体や心を壊して退職していく人たちを見るたび、疑問を消すことができず。

そんなわたしを見ていた夫に
「そんなにイヤだイヤだ言ってないで、他にやりたいことを見つけたら?」
と言われるも、学歴も資格も、何のとりえもないわたしに何ができるのかなぁ(泣)と
その後3年間悶々と過ごす。

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2004年、買い物に訪れた柏で「たまたま」リラクゼーションスクールの前を通りかかり、
頭の上の電球がピカーン!と点灯
「今から整形外科医になるのは無理でも、セラピストならなれるかも!」
⇒周囲の反対を押し切り即入学

実はそれまでマッサージを受けたこともなかったし、体型もガリガリだったので、
できるはずがない!とかなり周りの人に反対されました。

35歳遅咲きデビューのため、同級生どころか先生も10歳下!
わーこれヤバいとこ来た…と、最初はおとなしく小ーーさくなっていました。
でも学校の勉強は興味深くおもしろく、そのうち
「藤原さん、今日終わったら飲みに行こ♡」「え!はいいいいいいい喜んでええええ!」
というやり取りののちは卒業したくない!と思うほど楽しい学校生活を1年間送る。
(みなさんその節は本当にありがとう)

この間に、11年勤めた会社を退職。
今は立派な体形ですが、このころの写真を見ると顔色も悪く、げっそりしています。

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その後併設サロンにて8年間勤務、のべ7000人の施術を経験。

8年間で一番うれしかったことは、常連さまに
「わたしは藤原さんの手でないとダメ。それにかなうものはない」
と言われたことです。
今でもこの言葉は、わたしの大きな支えとなっています。

2012年、周りのスタッフがどんどん入れ替わり、年齢層が若くなっていく中、
「わたしこのままでいいのかなぁ」とまたまたぼんやり考え始める。
そんなとき異動の辞令をうけ、いいタイミング!と思い退職を決める。

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2013年、その後の人生をいろいろと考え、
「せっかくだからチャレンジしてみよう!」と初石駅前に
「Relaxation&Aromaふわり」オープン。

2020年、近隣のお客さまに支えられ、試行錯誤しながら、8年目の営業中。

いつもありがとうございます。

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*家族
会社員でバンドマンの夫・ねこ一匹(一匹は2020.6天国へ...)

*趣味
ライブハウスに行くこと。(2020年、自粛中...)
ライブ撮影がしたくて始めたカメラ。(NikonD5600、OLYMPUS PEN E-PL9 )
スーパー銭湯でひとりのんびり過ごすこと。(こちらも自粛中...)
ベランダの掃除。

*好きなことば
幸せはいつも自分の心が決める(相田みつをさん)

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